必要なのは、つまり愛

たくさんのお客さまが

来店してくださり

こんなに買ってくれる

なんて、ありがたいんだろう

 

営業するたびに

その気持ちを噛み締めています

 

こんな私が作ったものを

喜んでいただけるのは

不思議な現象であると捉えている

一面もあります

 

いただくお金は

商品を作った対価

美味しいものを作った対価

 

買ってもらうために

作っているのにそう思うなんて

不思議ですよね

 

父がいて、母がいる

家に帰れば温かく迎えてくれる人がいる

ご飯が用意されている

気にかけてくれる人が側にいる

当然のように勉学にはげみ

中学、高校、大学とすすむ

 

わたしはそういった

“世間一般の生き方”からはずれ

むしろ屈折していると

表現してもいいくらいの人生でした

学歴だって自慢できるものではありません

 

自分の将来など、どうでもいいのだと

何気なく何となくその場をしのぎ

生きながら死んでいる時期が

とても、とても長かったのです

 

いざパン職人の世界に飛び込んでみると

パン作りへの思いに

応えてくださるお客さまが

こんなにもいるだなんて

 

でも「こんな私が」という考えは

お客さまにとっても

パンにとっても

まったく関係ないことなのでしょう

美味しいものを作る、という

結果がすべてなのですから

 

食べ物をご提供する上で

大切なのは

 

私という個人の気配を消しながら

誰からも評価されなくとも

いいものを作りたいと思う

静かなる炎を胸のなかに灯しつづけ

 

美味しいパンとは?

よい提供方法は?

美しく見せるディスプレイは?

わかりやすく営業するには?

不快な気持ちにさせないように

清掃は行き届いているか?

 

ご来店される方を思う気持ち

 

エーリッヒ・フロム

「愛するということに」に

こんな一説があります

 

「愛は能動的な活動であり

受動的な感情ではない

そのなかに落ちるものではなく

みずから踏み込むものである

愛の能動的な性格を

わかりやすい言い方で表現すれば

愛は何よりも与えることであり

もらうことではない

と言うことができよう」

 

必要なのは、つまり愛