仕事への愛がなくなったのではなく、形が変わったのだと思うことにした

仕事への愛がなくなったのではなく、形が変わったのだと思うことにした。

 

最近の私は、冷たかった。パンに対してもお客さまに対しても。これまでかけていただいた温かい言葉の数々が、動かなくなった身体を再び動かすことはない。脳裏に大切な人たちが何となく浮かんでいるのはわかる。ぼやけて誰かは特定できないし、その人たちが私を励ますことはない。あるのはいかに早く、清潔に、安全に、品質。あの人のために焼くのだという猛烈な熱意は霧のように薄くなっている。

 

誰のことも思えないのであれば、この仕事を続けていいのかとさえ考えた2023年末。

 

パン屋の仕事における愛って何だろうか。どんな方にお越しいただいてもいいように、恥ずかしくないものを作る。生地を愛おしみながらいつも来店してくださる方を思い浮かべ、感謝の気持ちを持ちながら作ることだと、約1年前のオープン当初はそう思っていた。

 

つまりは”相手を思うこと”が愛だった。愛の根底は変わっていないけれど、中身の詰まっていない脳みそから生まれた考えのように思える。代わりに綿飴のようなフワフワしたものが詰まっている。浅はかだとさえ思う。そう思っていた頃の私が目の前にいたら、どちらかの頬を叩き、肩を揺さぶっていたに違いない。私は今、そんなやわな考えで焼いてはいないぞ。

 

仕事のパフォーマンスを落とさないように、自分の睡眠時間を確保して品質を維持しなければならない。それ以前に、基本的な衛生管理を怠らず安心安全なものを作るのが最優先である。これらを基礎として固めながら製造量をジリジリ増やす努力をする。これが形の変わった愛。

 

無駄な作業をなるべくふるい落とし、スピードをあげて限られた時間内に焼く。パンひとつずつ丁寧に、とは言い難いかもしれない。オーブンを10時間以上動かし続けた後は、翌日使う酵母の世話をする。止まらない、休まない、座らない。アルバイトさんが来るまでにシンクに溜まった洗い物はなるべく片付けておきたい。洗い物なんかは誰でもできる。もっと重要な仕事を、身につく仕事をやってもらうべきなのだ。

 

多分、冷たくなったのではなく、基本を固めるのに精一杯だったのだ。やるべきこと、やりたいこと、焼きたいものが渋滞して、パソコンにある「試作するものリスト」に商品名が溜まっていく。何をどのくらい焼くかを決めるのは私であり、減らすこともできるが、増やすことだけを考えている。時間内に焼けるか焼けないかの瀬戸際を狙う。買えずに諦めて帰るお客さまの背中が浮かぶのである。