虐待の体験について考える

私は7歳から11歳まで継母から虐待を受けてきた。詳細を語るのは控えるが、種類としては身体的虐待、心理的虐待に分類される。

普段触れるのを避けてきた“虐待の体験”について考える。暴力や暴言などは単なる「その瞬間の出来事」なだけであり、人間の存在価値や自己肯定感をさげる力。または嫌な記憶として現在にわたって影響はしないはず。しかし脳ミソはつらい出来事ほど重要事項として認識し、忘れないように何度も思い出させる。これがいわゆるトラウマである。

トラウマの緩和には共感・理解が必要。「誰かに話す」は避けては通れない。でも話せるような親密な人はそういない。話題が重すぎる。話したところで期待する返事は得られない可能性も高い。こんなときは共感・理解のプロ、臨床心理士を頼るとよい。

ただ虐待の体験は「虐待する側」と「される側」にしか分からない。真実もこの2人しか知らない。本当の意味での共感は難しく、誰からも理解されにくい。最終的には他者に頼らず、自分で共感・理解しなければならない。幼かった当時の自分を、自分自身で慰めなければならない。あの時、誰かからしてもらいたかったように。

 

きっと私だけが「被害者」ではなく「加害者」も「被害者」なのだと思う。

幼い子供を殴り、殺したくなるような怒りや苛立ち。その根源がどこからくるのか向きあう機会に恵まれなかった。それ以前に、継母が両親と愛のある関係性が持てなかった。もしくは過保護に育てられたのかもしれない。悪化した夫婦関係、新しい生活環境が精神を追い詰めたのかもしれない。「虐待をした」という認識すらなく、罪を認めずに生きつづけ、他人と深い関係を築いていく温かさも知らず、変わらずに怒りや苛立ちに満ちながら死んでいく。幸せを知らずに生きるのは、ある意味不幸である。幸福を感じられない被害者とも言える。

虐待の体験で最後に思い出すのは9、10歳のとき。庭に埋められるのだろうと悟った瞬間があった。眩しいほどに光がさす日だった。私が冷たくなったら、この人は庭の土を長方形に掘って埋めるのだと。そうしたいほど私を憎んでいるのだと。窓際に横たわり、庭にさす光をみながら埋められることを受け入れた。受け入れれば警察が継母を捕まえて、罰してくれるはずだからと。父に会いたい。友達と遊びたい楽しいことをしたい。食べて寝て排泄をして、心地のよい環境で過ごして安心して眠るという「当然のこと」を、当然のようしてに生きたい。願望を押し殺して埋められることを受け入れればその代償に、継母を困らせることができる。この生活も、もう終わる。

太陽は変わらず温かく眩しい。枯れた雑草さえも金色の稲穂のように輝かしくみえる。あちらの世界に行きたい。理不尽なこぶしも、存在を否定する言葉や態度も、何をされるか分からない恐怖も空腹もない、光が温かく包み込んでくれる世界に。私の腹のうえには継母がのっている。

埋められずあれから20年。私は、運がいい。

 

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▲この度オリコンニュースさんに取材をしていただきました。虐待の体験について少し触れています。