美容整形をしたら、自分の顔を好きになれると思いますか?
いいえ、全てがそういうケースではありません。私がその1人です。
近々、大きなセミナーを控えています。最近はセミナーも含め、表に出る機会がふえました。活動の場をいただけるのはありがたいことです。声をかけていただけたら、全力でお答えします。
でも、私が未熟だからでしょうか。幼いからでしょうか。ときどき「ツラい」と感じることがあるんですよね。
なにがツラいのか。自分の顔を「醜い」と感じるからです。
端的にいえばこの記事は、
自分の顔が醜く思えて仕方ない。でもこの気持ちはカッコ悪く、自分勝手。弱さを押し殺し、強く生きよう。
という話です。
動いている自分をみるとツラくなる
ここ最近、YouTubeに出演する機会をいただき、仕事の幅が広がってきたように感じます。
カメラの前に立つのは緊張しますが、新しい挑戦も楽しいものです。YouTubeってこんな風に撮影するのか、テレビみたいだなと、貴重な体験です。
そもそも、こういった仕事を依頼してもらえるのは、私がこれまで「700万円かけて美容整形をしてきた経験」にあります。
しかし、裏をかえせば「700万円かかるほど、自分の顔が気になり、醜いと感じている」という証でもあるのです。
なので、自分の容姿に対しては、もともと過敏に反応しやすいところがあります。前置きしておくと、「もう出たくないです」という話ではありません。機会があれば、ぜひ出させてください。
でも、動いている自分を客観視するのは、精神的にダメージを負っている、疲れているときは最悪。
「自分の顔が気になるモード」に陥ってしまいます。
▲整形ちゃんねるに出演させていただいた動画はこちら
▲美容整形アプリ トリビューさんのYouTubeに出演させていただいた動画
顔のどこを醜いと感じる? 多分 全部好きじゃない
「醜い」は抽象的な言葉なので、顔のどこに醜いと感じるのか言語化してみます。
- 鼻翼基部の凹み
- 目と顔の左右差
- 口角が下がっている
- アゴ下のたるみ、脂肪
- まぶたの重みとタルミ
- 笑うと鼻先が下にさがる
- 話す時にモニョっとする口
- 笑ったときのほうれい線の深さ
- 鼻の曲がり、鼻の低さ、鼻孔の形
- 整形しても顔が大きい、頭がデカイ
結論、全部好きじゃない。
反射的に「うわ、キモいな」と、感じる。その「うわ」っとした感覚があると、そのまま美容外科に連絡をして、今すぐにでも整形したくなる。
一層のこと、転生したいところですが、転生してもスライムにしかなれる気がしません。
もっと心が荒んでいるときは、動画を撮影して、顔を確認しないと不安になります。自分がどんな顔をして話しているのか、口の動きはどうなっているか、嫌いな顔の角度のときはどうみえているのか。他人の目線を把握しておかないと、怖いのです。
身体醜形障害では?
そんなもの、自分でもわかりません。
美容整形をしても、こんな容姿な私。
美容整形をして綺麗になれるか否かは、やっぱり生まれつきの素材が関係してくるのだと。これまで投資した金額の大きさも合わさって、身を切るように現実を痛感します。
▲美容整形に700万投資した本音はこちら
「私は醜い」はどこからくるのか 新たに理由を分析する
これまでの人生の中で、大半を占めていたのが容姿への囚われ感です。
容姿の囚われ感を簡単に説明すると、自分の容姿が過剰に気になって、生活に支障が出る状態を指します。考え方、行動のすべてが容姿中心になり、まさに「囚われている」のです。
この気持ちは26歳になって多少は落ち着きましたが、まだ現在進行形であると思います。醜い自分を変えたくて美容整形をしたのに、まだ醜いと思う気持ちがなくならない。この矛盾が、いまだにあるからです。
「美容整形に700万円かけて気がついたこと」では、自己否定や自己嫌悪が美容整形の引き金になる。やめるには「受け入れ」が必要だと言いました。
でも、そんな単純な話ではないですよね。もっと深いはず。
考えた末、容姿への囚われ感や自分の顔に過敏に反応するのには、色々な要素が関わっているのではないかと思うのです。
- 容姿に対する理想が高すぎる
- 母親が美の基準になっている
- ごく僅かな左右差が瞬間的に分かる
- 孤独な環境下に長くいたので、認知の歪みが起きている
- 劣等感を刺激する過去の出来事がトラウマになっている
- 「醜いと感じる=他人もそう思っているに違いない」の被害妄想
- 容姿に関して傷ついた出来事が「私は醜い」という刷り込みを作っている
「母親が美の基準になっている」は、身体醜形障害の本に記載がありました。
「お母さん(あるいはお姉さんや妹さん)は本当に綺麗ね」と言われるなど、姉や母親に負けた歴史を持つ人は、知らない間に、身近な人をモデルにして美の基準を刷り込まれている可能性も高いのです。このようなケースでは、美の基準を修正する必要があります。
引用元:なぜ美醜にとらわれてしまうのか 身体醜形障害 〜母親が美の基準を刷り込む〜 P146より
私の母はマレーシア人なんですけど、細くてエキゾチックで、写真を見るかぎり美人な女性でした。
私の周りも「あなたのお母さんは本当に綺麗な人だったのよ」と、散々聞かされたことも。
たしかに、生まれて初めてみる女性は母親です。長い時間一緒にすごすなら、美の基準を刷り込まれてもおかしくはありません。
自分の顔を気にしているのは自分だけ 自分を好きにならない決心をしている
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「嫌われる勇気」という本をご存知ですか。
アルフレッド・アドラー思想(アドラー心理学)の思想を、悩める青年と哲人との対話をまとめた一冊です。
この本の文中には、自分を醜いと思い、自分を嫌う私に対して、胸に突き刺さる一節があります。
「お前の顔を気にしているのは、お前だけ」
人はそれほど、他人を逐一みているもんじゃないよ。そう思っているのは自分だけ。
「他人=敵」だと、あなたが勝手に思っているだけだよ、という話です。
実際のところ 、他者はそれほどにも 「あなた」を見ているものでしょうか?
あなたを24時間監視し、隙あらば攻撃してやろうと、その機会を虎視眈々と窺っているものでしょうか?
おそらく違うでしょう。わたしの若い友人が少年時代 、長いこと鏡に向かって髪を整えていたそうです。
すると彼は、祖母からこういわれました。「お前の顔を気にしているのはお前だけだよ」と 。それ以来、彼は生きていくのが少しだけ楽になったといいます。
引用元:嫌われる勇気 お前の顔を気にしているのはお前だけ より
これを読んだとき、心臓に大きな杭を打たれたかのような、衝撃が走りました。
なぜなら、自分自身を醜いと感じているなら、他人もそう思っているに違いない。私が醜いと思う気持ちは、絶対的だと思っていたからです。それを誰も見ていなかったなんて......!
「美容整形に700万円かけて気がついたこと」の中にも書きましたが、世界で1番嫌いなものは「私」でした。
ブログを開設したのは3年前。
この頃がもっとも容姿への囚われ感が強く、「私は醜いから」を理由に、すべてがダメだと考えていたほど。
ですが、世界で1番嫌いなものは私であり、それは絶対的に正しい。だって、ブサイクで太っていて、何も取り柄もない。いつも見えない何かにビクビク怯えている、心の弱さもある。時間を忘れるくらい熱中できるものもない。キラキラなんかできていない。
魅力的でしょうか?
魅力的に思うはずがありません。だから、誰からも愛される資格もない。だったら理想に近づけるように努力すればいいのに、自己嫌悪の強さに心が消耗し、頑張る気力すらありません。
こんな私の思いにも、嫌われる勇気では全面的に否定しています。
なぜあなたは自分が嫌いなのか?
なぜ短所ばかり見つめ、自分を好きにならないでおこうとしているのか?
それはあなたが他者から嫌われ 、対人関係のなかで傷つくことを過剰に怖れているからなのです。
引用元:嫌われる勇気 なぜ自分のことが嫌いなのか より
赤面症の彼女が男性から振られることを怖れていたように 、あなたは他者から否定されることを怖れている 。
誰かから小馬鹿にされ、拒絶され、心に深い傷を負うことを怖れている 。
そんな事態に巻き込まれるくらいなら、最初から誰とも関わりを持たないほうがましだと思っている 。つまり、あなたの「目的」は、「他者との関係のなかで傷つかないこと」なのです。
引用元:嫌われる勇気 なぜ自分のことが嫌いなのか より
ここまで私の心をえぐるなんて…! 勘弁してくださいよ哲人。
嫌われる勇気、数年前に夫と一緒に読んだのですが、上記のはなしがどうしても納得できず、腹が立ち、朝まで討論会をしたのでした。
醜いの言い訳をして逃げるのはカッコ悪い 自分勝手は誰かを傷つける
「自分を醜いと思うから〇〇しない」と考えるのは、カッコ悪い生き方だと思っています。
醜いから、キモいから、完璧ではないから、〇〇しない。それって傷つかないための言い訳だよね、と。嫌われる勇気でも、そう言っています。
例えば、仕事の依頼をいただきました。そこで「お断りします」(自分の顔を醜いと思うのがツライので)とするのは、理由を言わなくとも、カッコ悪い姿ですよね。
この気持ち、誰か同じ考えの人はいないかな? とツイッターで調べてみると、ビッグなあの人もこう言っていました
ツイート主は、与沢翼さん。
めちゃくちゃカッコいい。世の中で活躍している人のメンタリティーは、一味違う。
また「自分を醜いと思うから〇〇しない」の自分勝手な気持ちは、誰かを傷つけることもあります。理解した出来事は、夫に写真撮影をしてもらったときのこと。
天気がよかったので、自宅のベランダで何枚か撮影してもらいました。日の光、構図、ピント。キレイに撮ってもらったと感じます。夫も喜んでいる。
彼が日頃カメラの練習をしていた成果もありますし、妻をよく撮れたシンプルな喜び。喜ぶ夫をみた嬉しさから、SNSに載せたい気持ちもでてきます。新しいプロフィール写真になるな、とも。
でも、私は少しでも顔に「醜いポイント」を見つけると、嫌になってしまうんです。誰にも見せることなく、データとして永久保存しておきたい。
どう足掻いても仕方ない話ですが、大昔のケガの後遺症で、左目だけ白内障なんです。
怪我の影響もあり、目に左右差が出てしまったのも私の中では醜いポイント。本当は目が残ってくれただけでも、有難いことなのに。
でも、やっぱり嫌。
▲撮影後、夫は私の写真を使って、ブログを書いてくれました
でも、自分の顔を醜く思う気持ちから、拡散する気にはなりません。
という話をすると、
「きっと、色んな人が見てくれると思うよ。人はそんなに細かいところまで気にしないよ」と。
でも、自分を醜いと思っている。美容整形したけど、美しくなりきれなかった「失敗作」と思っているわけです。
仮に見にくる人がいたとすれば、
「ただの、怖いもの見たさだよ」
「私の顔は醜いと、誰もが思っているに違いない。私がそう思うから絶対だ」
そう言ってしまい、彼を傷つけてしまいました。せっかく撮ってくれたのに、練習もしてくれたのに。いいカメラも買ったのに。自分勝手な気持ち(自分を醜いと思う気持ち)があるあまりに。
「自分の顔は醜い」は他人を気遣うことなく、自分しか注目していない。自分勝手で、カッコ悪い感情なのです。