容姿の囚われ感が「自己肯定感の低さ」からくる理由を生い立ちをふり返り考える

私が10年以上悩んできたのは「容姿の囚われ感」です。

美容整形に700万円投資したのが、囚われ感の強さを物語っていると思います。

整形しても、醜いと感じる顔
整形しなければならない焦り
「醜いわたしは価値がない」という空虚な気持ち

容姿の囚われ感とは、容姿を気にするあまり、日常生活に支障が出たり「容姿を整えないとならない」という感情がわき、心がコントロールできない状況をさします。

この、囚われ感。容姿を整えれば解決するわけではないだろうと、なんとなく気がついていました。向きあうべきなのは、囚われる私の内側(心)ではないかと。

この中で得たのは、容姿の囚われ感は自己肯定感の低さからきている、でした。

これまで私は、

「ブサイクだから、太っているから容姿が気になる」
「私が醜いから容姿が気になるのは当然」
「整形とダイエットをすれば悩まなくなる」

と思っていましたが、そうではなかったのです。すべて根っこにある自己肯定感の低さが、悪さをしていたのです。

なぜ容姿に囚われるようになるのか、自己肯定感の低さとどんな関わりがあるのか。

同じ悩みを抱えている方にむけて、私の生い立ちを交えながらお話しします。

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私の自己肯定感が下がった生い立ち

私が3歳のとき、両親が離婚。

その後は父子家庭となり、父方の親戚にあずけられて幼少期をすごしました。

父方の親戚は家族同然のように接してくれましたが、どことなく「よそ者の子供」という感覚がありました。父が親戚に生活費を入れていると知っていたので、「お金を払わないと大切にされない」という恐怖も。

また、父は仕事人間だったため、会えるのは週に1~2回。後回しにされている感覚が「私はいらない子」という気持ちに火をつけたように思います。

仕事で疲れた父。面倒くさそうにしていた父の記憶も所々ありますので、「私は邪魔者なのだ」という気持ちにもなりました。

その後、義理の母からの虐待、父の病死、父から譲りうけた家で孤独な10代を経験したせいか、自己肯定感は爆さがり状態。

父の病死と私は関係していないのに、

「父が死んだのは私のせい」
「代わりに私が死ねばよかったのだ」

身の回りにおこった全ての出来事は、すべて私のせいだと考えるように。

また、父は生前、治る見込みのない病に精神もむしばまれ、飛び降り自殺をはかるため行方不明になる事件を起こしました。父を責めるわけではないのですが、これも私の自己肯定感を下げた、大きな原因なのは確かです。

当時13歳。引きこもりになりはじめた時期で、昼夜逆転の生活。いつものように15時ころに起きたある日、父の姿はありません。

リビングにいくと、

Seinaは問題ばかりで手に負えない。もう育てられない。俺は死ぬ

などと書いた、遺書のような手紙が置いてあったのです。

えっ、死にたくなったのは私のせい?

たった1人の父親に見限られた、強烈なショック。幼少期から抱えていた「私はいらない人間」が本当にそうであるという、決定打になった出来事でした。

▲私の生い立ちの話はこちら

小さな火種が「容姿の囚われ感」のはじまりだった

容姿に囚われるきっかけとなった火種は、小さな容姿のコンプレックスだったと思います。

小さなコンプレックスで思い出す記憶は、幼稚園のころ。「私の横顔は、ほかの女の子と違う」と違和感があったのです。この違和感は「醜い」という気持ちだったのかもしれません。

その小さな容姿のンプレックスを抱えたまま思春期になり、異性を意識するようになり、コンプレックスは大きく膨らんでいきます。

私の場合、成長過程のなかで容姿に関するトラウマ的な出来事を体験したのも、容姿のコンプレックスを深めさせた要因になったと考えています。

そして、他者からどう見られているか。嫌われるのではないか。

「いい子の仮面」をつけ自分を偽り、気に入られようとする。そんな心の動きもあわさり、気がついた時には、こんな思い込みが根付いていました。

  • 容姿がよくなければいけない
  • 容姿がよくないと価値がない
  • 容姿が良くないと生きている資格がない

いつのまにか、容姿の良し悪しが、自分の価値を決める判断材料になっていたのです。

はじまりは、自己肯定感の低さ。そこに火種となってあらわれた小さな容姿のコンプレックス。そこに投げこまれる松明たちが、巨大化した容姿のコンプレックスやトラウマ。

気がついた時には、すでに遅し。

容姿の囚われ感の炎はごうごうと燃えさかり、強い痩せたがりの気持ち、くり返す整形、過食と手がつけられない状態になっていました。

<筆者コメント>
ブログ名「美しくなければ生きていけない」は、とあるハードボイルド小説の「タフでなければ生きていけない。優しくなければ生きている資格がない」の一節が大元

そこに私が長年抱えていた「美しくなければ生きていけない」という、容姿に囚われる苦しい気持ちを反映させています

容姿の囚われ感が生まれる仕組み 「自分を認められない気持ち」が大元

先日「容姿を気にする人の仕組み」を呟いたところ、多くの反響をいただきました。

容姿の囚われ感の原因は、冒頭でもお伝えした通り「自分を認められない気持ち=自己肯定感の低さ」だと考えています。

容姿の囚われ感があると、日常生活を乗っとられてしまいます。「囚われ感」は目にはみえません。だからこそ、余計に混乱する。囚われ感の思うままに操作され、自分をコントロールできないのは辛いもの。

囚われる仕組みを理解できれば、苦しさが和らげられるかもしれない。

ここからは「容姿の囚われ感が生まれる仕組み」を、私なりに深掘りしてお話ししていきます。

専門家からみれば間違いかもしれませんが、私が思う仕組みはこうです。

1.自己肯定感が低い

自分を認められず、否定や嫌悪をする。

また、自分自身に人間的価値を感じられない気持ちや「私は不要な人間だ」と漠然と感じるなど。

ベースには自己肯定感の低さがあります。

2.他者から認められようとする

自己肯定感が低い人は、他人からどう見られているかを気にしがちです。

そして「他者から得られるよい評価」が自分の人間的価値をあらわす物差しであり、自信のバロメーター的な存在にもなります。

人間は、承認されないと生きていけない生き物。自分自身を認められない代わりに、他者からの承認を過剰に求めるようにもなります。

3.素の自分を見せてはいけない、見せると嫌われる恐怖心

自己肯定感が低い人は、素の自分(ありのままの自分とも言います)を認められた経験がとぼしい。

あるいは、「いい子」でいなければならない事情があり、素の自分をみせる機会をえられなかった傾向にあります。

そのため、

  • 素の自分に対して自信が持てない
  • 素の自分を見せてはいけない
  • 素の自分を見られると嫌われる
  • 素の自分は受け入れられるはずがない

という感覚が根底にあります。

人によっては、素の自分に自信が持てないがために、両親にさえも「いい子の仮面」をつけ、気に入られようとするケースも。

私の場合、幼少期に大人っぽい振る舞いをして褒められた経験から「大人っぽく、ワガママを言わないいい子ちゃん」を演じていました。

4.形を整えて他者に認められようとする

今度は他者からよい評価を得るため、「形」を整えて他者から認められようと行動します。

形とは、学歴、肩書き、成績、所有物、体型、顔など。目に見えてわかりやすいものです。容姿もここに含まれます。

では、なぜ形を整えたくなるのか。

「他者からみて、分かりやすい評価の対象」であり、手ばやく評価を得られる可能性があるからです。

その中でも「容姿」は便利な存在。

容姿を整えれば「キレイ、可愛い、美人、痩せたね」と、他者からよい評価を得られやすいのです。

また褒め言葉の数々が、自分自身の価値。またはステータスとして確立できる。

「いい容姿でいれば、誰かに好かれるのではないか」という期待も、容姿を整えることへの依存度を高めます。

整えた「形」はこころを守る防御壁

ダイエットや整形をして、容姿を整えることに奮闘していたころをふり返ると、整えた「形」は自分を守る自信となり、私の人間的価値をあらわす象徴のような存在になっていました。

「キレイになれば、誰かから認められるはず」
「容姿を磨けば磨くほど、自信になる気がする」
「自己管理できている自分に、自信が持てる気がする」

自信がなく、弱々しい私を守ってくれる「防御壁」のようでした。

言い換えれば、

本当のわたしは醜く、価値がない

これを感じたくないがための、これを感じて傷つかないための、防御壁なのです。

しかし、防御壁はもろいのです。形を整えてつくった、その場しのぎの「偽物の自信」だからです。

そのため、ダイエットをしていたのに過食をするなど、「形を整える行為」がうまくいかないと、途端に防御壁はくずれ、自信のない自分があらわに。

これまで容姿を整えて、自分を偽り、他者から承認されることで人間的価値を感じ、なんとか保ってきた。その歯車が上手くまわらないのは、大惨事です。

押し込めていた、自信がなく弱々しい自分が出てきてしまう。素の自分を知られ、嫌われてしまう恐怖。「こう思われるのではないか」という不安や焦りが、一気に爆発。

その気持ちが「容姿の囚われ感」という形であらわれ、自分をコントロールができなくなる。

これが私なりに分解した、容姿の囚われ感による苦しさの正体です。

他人を気にして容姿を整えるほど傷ついていく

容姿に囚われていると、

「容姿が気になるのは、私が醜いせいだ」
「私が醜いのは絶対的に決まっている」
「顔を整えれば、痩せれば悩まずにすむ」

非健全的な思い込みのせいで、より一層、容姿を整えることへ奮闘させます。

でも、容姿を整えるのが解決策ではありません。余計、生きづらくなります。

他人からのよい評価を得るために容姿を整えるのは、「キレイになりたい」という主体性をもった美容の一貫ではなく、他人の目線や評価が原動力になった「自分を偽る行為」だからです。

つまり、容姿に囚われるままに容姿を整えているかぎり、他人のあやつり人形なのです。

偽りつづければ、素の自分を認める機会はえられません。「作りものの自分」という見方もするようになり、他人を気にする自分にも疲れ、自信をなくしていきます。

では、生きやすくなるには、どうすればいいのでしょうか。

容姿の囚われ感の根底にある「自己肯定感の低さ」が、向きあうべきポイントだと言えます。ここで注意したいのは「自己肯定感を高める=自分を大好きになる」ではないこと。

自己肯定感が低くなった出来事を認識し、

「だから容姿に囚われてしまうのか」
「それなら仕方ない」

と、囚われる自分を認めることこそが、自己肯定感を高める考え方だと思います。

希望を持っていただきたいのは、大人になってから自己肯定感を高め、容姿の囚われ感をやわらげ、楽に生きられるようになった人間がこの記事を書いている事実です。

「醜いわたしは価値がない」と、自分を傷つけるような思い込みは、もうありません。過去の私と同じように容姿に囚われ、苦しい方にも、傷つけるような思い込みはしてほしくない。囚われ感で生活を奪われることなく、自分の人生を歩んでいただきたい。

「容姿を整えることそこが、私の生きる意味」と思うなら、それでもいいのです。あなたさえよければ。

でも、本当に幸せですか?

どうやって自己肯定感を高め、容姿の囚われ感を減らせたのか。

その話はまた別の機会に。

この記事を書いた人

Seina

整形と減量で生まれ変わったライター。当ブログでは「美しくなること」をメインテーマに執筆。コラムやエッセイはnoteで更新中。ご連絡はお問い合わせからお願い致します。>詳細プロフィールはこちら