私が欲しかったのは「美しい容姿」ではなかったのかもしれない

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10代後半に掲げた目標は「生まれ変わる」 26歳で達成した

私はちょっと、特殊な人生を送ってきた。

10代後半に掲げていた目標は、「将来何になりたい」ではない。

醜い顔と身体を変える
引きこもり、鬱、過食を治す

だった。

とにかく、生まれ変わりたかった。

ブサイクで生まれただけに留まらず、ストレスを過食で発散する癖ができた。45kgから73kgまで太り、醜さをます身体。

受け入れられなかったのは容姿だけではなく、引きこもり、鬱、過食をする自分も。

10代後半から26歳になるまで、整形をして顔を変え、体重は56kgまで落とした。顔を変えて痩せても美人にはならなかったけれど、10代後半にかかげた「醜い顔と身体を変える」は一応目標達成できたことになる。

その他の問題、引きこもり、鬱、過食。

整形と減量で容姿のコンプレックスが緩和し、心の問題も快方にむかった。容姿のコンプレックスが「悩みの根源」だったからだ。

引きこもりの主な原因は「容姿のコンプレックス」。それが和らげば、引きこもる理由もなくなる。徐々に外の世界と関わるように。

自分の容姿を責め立てていたのも、コンプレックスが原因。それがなくなれば、責める機会も減る。心の安定が得られ、余分なストレスもなくなり、過食も減った。

容姿を変え、心の問題も改善できたなら「生まれ変わりたい」も達成できたのではないだろうか。

復讐心や承認欲求が「美しい容姿」を求めていた

「生まれ変わる」の要素に加えたいのは、人との出会い。

顔を何度かアップグレードしたころに今の夫と出会い、結婚もできた。整形に理解のある友人もできた。どちらも「生まれ変わる」を後押ししてくれた人たち。「容姿がすべてではない」と、教えてくれた人たちだった。

「容姿がすべてではない」と理解するのは、容姿の囚われ感から暴走していた私にとって、より一層生まれ変わるために必要不可欠だったと思う。

整形をくり返し、容姿に囚われていた20代前半は「誰もがふり返るくらいの美人になってやる」と、闘志を燃やしていた。火の大きさを膨らませていたのは、これまで私を傷つけてきた人達や、浮気をされた元カレへの復讐心。

または、自分自身を認められない気持ちや、寂しさによって大きく膨らんだ承認欲求によるものだった。

今思うと、復讐心と承認欲求が「誰もがふり返るくらいの美人になる」という非現実的な理想を作りあげていただけで、本当は誰かから受け入れられたかったのではないかと。

「私」という存在を、自分自身がもっとも受け入れられなかったからだ。

私は長い時間、自分を許せなかった。それが辛かった。

「痩せなければならない」
「綺麗でなければならない」
「醜い私には価値がない」

容姿のコンプレックスをこじらせ、ガチガチに固まった価値観ができあがっていた。

だから、醜い顔をした自分を許せない。太っている自分を許せない。「誰もがふり返るくらいの美人になる」ではない自分を認められない。

でも、「普通」であっていいのだ。私のように容姿を過剰に気にする人は少ないのだ。容姿よりも大切なことがあるのだ。人は容姿だけで判断しないのだ。

弱いところも全て受け入れてくれる夫。お互いを尊重でき、受容できるよき友人たちを通して学んだ。

人と関わりを避けていた引きこもり時代には、到底理解できなかったこと。人を通して学ぶために、私にとって容姿の変化は必要だったに違いない。

「受け入れられている感覚」が復讐心や承認欲求をなだめ、固まった価値観をほぐし、冷静さを取り戻させてくれたように感じる。

誰もがふり返るような、美しい容姿はもういらない。

手に入れるのは不可能であり、非現実的な理想。なぜ非現実的な理想ができるのかも、今は理解できる。

きっと私は、人と問題なく関わるために、人との出会いから学ぶために、受け入れられている感覚を得るために。

容姿のコンプレックスに苦しまない程度の容姿があればよかったのだ。

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この記事を書いた人

Seina

Seina

当ブログでは「美しくなること」をメインテーマに執筆。整形と減量でブサイクから生まれ変わった経験を活かし、ライター・ブロガーとして活動。その他、海外専門メディア運営&編集長、オンラインサロン運営。整形のご相談はココナラで対応中。お仕事のご依頼、その他ご相談はお問い合わせからお願い致します。>詳細プロフィールはこちら