輪ゴムでひとつに束ねた髪を、ハサミでカットする。
ハサミを入れる「ジョキジョキ」という音が聞こえおわった後、何気なくスマホのロック画面をのぞいた。
時刻は午前10時17分。
外はシトシトと雨が降る中、いつもの行きつけの美容室で、12年間ともにしたロングヘアーに別れを告げてきた。
「新しい自分」になれたような清々しい気分と、長年連れそった髪の毛がなくなった感慨深い気持ちとの両方に包まれながら、この文を書いている。
たかが「一人の女が髪をのばして切った」だなんて、どこにでも転がっている話かもしれない。
しかし、わたしの「髪」に対するエピソードは、
「長い髪の毛に憧れていたからロングヘアーにした」
「髪型に飽きたから、気分転換になんとなく切りたくなった」
という、単純なことでは片付けられない。
髪にこだわったのは何故か?
ロングヘアーであらねばならなかった理由は?
そんな髪を手放したくなったきっかけは?
わたしの髪には、わたしだけの歴史が詰まっている。
顔はブサイクだけどせめて髪はキレイでありたい
現代の美容医療を駆使して顔をつくり変え、いまの「私」がある。
その仮面の下は、ただのブサイクだ。
ブサイクな顔が気に食わず、美しくなりたいと本格的に美容整形にのめり込んだのは、20歳を越えてからだった。
しかしそれよりも前に、自分のあるパーツを変えたくて仕方がなかった。
「髪の毛」だ。
わたしの髪は、剛毛でひどい癖毛。ボワっと広がり、まとまり感などコレっぽっちもなかった。
髪の表面をなでるとツルッとしていて、指を通すとどこにも引っかかることのないサラッとした質感。
それでいて真っ直ぐで、うるおいに満ちた髪を手に入れたかった。
「髪も顔も美しく変えられたらいいのに」と願うが、当時中学生だったわたしは勝手に美容整形をすることはできない。
だから、
「顔はブサイクだけど、せめて髪はキレイありたい」
と思いはじめ、パーツを磨くことにした。
それから、すこし異様さを感じるほど「髪」こだわるようになった。
異様とは「界面活性剤=悪」と決めつけ、特別なハーブと水でつくった手作りのシャンプーで髪を洗っていたり、ヘアトリートメント替わりにヘナ(注1)でヘアパックをするほど。
いくら天然なものがよいとはいえ、コストがかかり、手作りシャンプーでは頭皮が不衛生になりやすい。
次は、プロの手を借りるために「理想の髪」に近づけてくれる美容室をインターネットで探した。
そして何件もの美容室に足を運び、やっと「理想の髪」を手に入れられる美容室をみつけた。
おかげで剛毛、くせ毛、まとまりのない髪とは卒業して、いまでは「髪がキレイだね」と褒められるくらいになった。
注1:ヘナとは、エジプト・インドなどの暖かい地域で育つ植物のこと。ヘアマニキュア、ヘアトリートメント、ヘナタトゥーとしてよく使われる
私がロングヘアーにこだわり続けた理由
わたしがロングヘアーに12年間もこだわり続けた理由を一言であらわすなら、「髪を短くすることによい思い出がないから」だ。
わたしの小学3年生の記憶に、すこしだけタイムスリップしてみよう。
当時、爪を噛むくせがひどかった。
指先から血を出すことは当たり前。
爪をはいでしまい、爪がない指も何本かあるほどだった。
そんな姿を心配するわけでもなく、ただ不潔に思ったのだろう。
わたしに意地悪をしていた継母から、ある言いつけをされた。
「爪を噛むクセをやめられなかったら、罰として坊主にしろ」と。
継母がこの罰を選んだのは、きっとわたしが言いつけを守れないことを知っていたからに違いない。
「忌々しいこいつが、自分の手で坊主にする姿をみたい」
「泣いて懇願する姿がみたい」
という期待も、見え隠れしているように感じた。
もちろん、爪噛みをやめる努力をした。
しかし、わたしは言いつけを守れなかった。
家族が寝静まったある日の夜中、継母に叩き起こされた。
その理由は、あの「罰」を執行するためだった。
リビングの真ん中。
イスに座った継母がブリキのゴミ箱をさしだし、その目の前でわたしは正座をする。
継母は「坊主にしろ」と命令しながら、わたしにハサミを渡された。
「ハサミで坊主にするのはさすがに難しいよな」と疑問に思うところだが、泣いて懇願する姿を待ち望んでいる継母の気持ちが、表情で読みとることができた。
だからわたしは、小さな反抗をすることにした。
わたしがめちゃくちゃな髪型になれば「あの子には一体何があったのか」と、誰か気にかけてくれるかもしれない。
それをきっかけに、継母から暴力を振るわれていることを誰かが気がついてくれるかもしれない。
「あなたの言いなりにはならない」という、継母への小さな反抗心。
「誰かに気がついてもらえるかもしれない」という期待。
その気持ちを右手に込めながら、悔し涙とともにランダムに髪の毛を切り刻んだ。
髪をつまんでは切り、ゴミ箱に投げ入れる。それをくり返す。
もともとアゴ下くらいまであったショートヘアを、自分の手ではげ山のようなベリーショートにした。
いや、むしろしてやったのだ。
女性としてのシンボルをないものとして扱われているような、自らの手で断ち切ったような、複雑な気持ち。
それから、無意識的に髪を短くすることに抵抗感をおぼえるようになった。
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髪を切って生まれ変わろう
「髪が長いほど女性らしい」
「ロングヘアーだけが私の取り柄だ」
髪を短くすることに抵抗感があった気持ちが、いつの間にか「いびつな価値観」にすり替わっていた。
髪以外にも女性らしさや、取り柄はもてるはずなのに。
たかが数十分くらいのむかしの出来事がひっかり、12年もロングヘアーのままだった。
24歳の立派な成人女性が子供のころの話を記しているということは、それほど記憶に残る出来事だったのだろう。
しかし最近、わたし自身に大きな変化があった。
顔の骨格を変える美容整形をした。手術は11時間以上かかった。
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そのかいあって、容姿はとても変化した。
どのくらい変化があったのかというと、
「地味な顔だから30過ぎにみえる」と言われていたのが、「20歳くらいでしょ?」と実年齢よりも若くみられるくらいだ。
わたしの顔を変えてくれた現代の美容医療と、担当医の技術には頭が上がらない。
このような、容姿や周囲の人の変化を経験すると「髪に対する価値観」など、「たかがそんなもの」くらいのちっぽけなことにしか思えなくなった。
わたしは変わることができた。もう、バッサリ切ってもいいんじゃないか。
ロングヘアーにこだわらなくても、いいんじゃないか。
顔も変わったことだ。生まれ変わる気持ちでやってしまおう。
すこし「勢い」も混じりながら、髪を切る決心をした。
そして、一年ほど前から考えていた「ヘアドネーション」を、ついに実現することができた。
「ヘアドネーションとは一体なに?」と思う人のために、
Japan Hair Donation&Charity(ジャパンヘアードネーション&チャリティー)のHPから引用した文をもとに、簡単に説明しよう。
ヘアードネーションとは、
頭皮・頭髪に関わる何らかの病気が原因で髪の毛を失い、ウィッグを必要としている子ども達に、医療用ウィッグの原料となる毛髪を間接的に提供すること。 寄付された髪の毛は、当団体によって選別・加工の工程を繰り返したのち、ウィッグとして生まれ変わり、レシピエントの元に届けられています。引用元:JHD&C(ジャパン・ヘアードネーション・チャリティー)ヘアドネーションとは? より
ウィッグを作るため必要な唯一の条件は、31cm以上の髪であること。
(31cm以下の髪でも無駄になることはない)
もちろん、31cm以上カットした。実際の長さは43cmだった。
新たなスタートを切るために、髪を手放したいと思ったわたし。
さまざま理由で、髪が必要な人。
ヘアドネーションは、決まった相手から決まった相手へと届くわけではない、縁の世界。
運命や偶然や必然がかさなり、わたしと誰かの需要と供給がマッチする。
この髪はいったい誰の手元に届き、役立ってくれるのだろうか。
「髪を切りたい」と、考えているあなた。
ヘアドネーションをしてみてはいかがだろうか?
>Japan Hair Donation&Charity(ジャパンヘアードネーション&チャリティー)の公式HPはこちら
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