これからは容姿に囚われない生き方の選択

2022年9月、29歳になりました。

美容整形に過食。わたしは、世間一般が「青春」と呼ぶ時代を容姿のコンプレックスと戦い消化してきた人間です。彼氏をつくって登下校。甘酸っぱい匂いがしそうな、楽しい文化祭や体育祭。そんな記憶は一切ありません。

出口のみえない暗闇でもがいていた時期と比べると、想像もしなかった状況にいます。楽しいと思える仕事につき、心のつながりがもてる人間関係を育み、死ぬまで一緒にいてほしいと思える人が隣にいる。とびぬけて容姿がよく、お金持ちではないけれど素晴らしい日々です。

とくに28歳から29歳までの1年間にやってきたことは、この先の人生を大きく変えていくだろう。そんな予感がしています。仕事をがらりと変え、新しい人間関係ができ、自分を肯定的にみられる機会もふえました。

以前書いた記事「美容整形からの卒業」の内容や、病的な過食はほとんどなく食欲が安定しているところからすると、容姿の問題は自分の中で消化できてきたような気がしました。

ですが、いまだに「体重」や「容姿」は無視できないワードではあります。

変わっていく環境。重ねていく年齢。錆びていく細胞。私たちに起こる変化は止められない。抗えもしない。

釈迦はいいます「すべてのものは移り変わるので、変わらないことに執着すると苦しみになる」と。

「痩せたわたし」に期待するほど苦しくなる

夫とホテルに宿泊しようと計画を立てていた、29歳の誕生日。

せっかくのホテル宿泊なのだから、ドレスを着て最高の自分で迎えたい。今年の誕生日こそは綺麗でいたい。宿泊の数ヶ月前から「せっかくの誕生日なんだから過去最低体重を目指そう」と考え、実行していました。

摂取カロリーは1000kcal以下。運動もして3kg減。まだ過去最低体重ではありません。もっと頑張らなくちゃ...となるわけです。

でも、よく考えてみてください。「誕生日だから過去最低体重を目指す」って変だと思いませんか。

ただ、その日を楽しんだらいいだけなのに。

体重の数値ばかり追いかけているのは辛い。なぜ辛くなるのか。定めた目標体重に到達できなかったらダメだと、自分に評価を下しやすくなるのがひとつ。ダメなんかじゃないのに。

さらにもうひとつは、「痩せた未来の私」を想像するほど、今が空っぽになること。

「最高な自分になって、誕生日当日を気持ちよく迎えている私」という未来を妄想し、現実になることを期待している。体重の数値とにらめっこ。きれいになった自分を頭の中で想像しながら、気持ちよい気分になる。目の前でくり広げられる日常を無視しながら。

仮に目標体重に到達したとしても、その内訳は落とし体脂肪ではなく、筋肉かもしれません。筋肉が落ちればメリハリ感がなくなるだけではなく、極端な食事制限によるリバウンドも簡単に予想がつきます。

もう、体重を追いかけるのはやめよう。

価値とは人間の内部活動

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「この日までに○○kgになる」という考え方は卒業しようと思います。体重に囚われがちな方もやめてみませんか。

「卒業しよう」より「卒業したい」が正しい表現かもしれません。体重に縛られる生き方って疲れちゃうんですよね。体重の数値によって一喜一憂せず、自信がなくなったりふえたりもせず、自由になりたいのです。

目標体重に到達できなかったからといって何かが変わるのでしょうか。体重が増えたからといって、私のあなたの、何が変わるっていうんでしょうか。お腹の脂肪がなくなり、くびれたウエストラインを手に入れたところでそれが本当の幸せなのでしょうか。

たとえ過去最低体重を記録したとしても、喜びは一瞬。飲食をすればなくなります。少ない体重が幸福とつながっているのは、あまりにも不安定。

体重とは何か。単なる「人体の重さ」をあらわした数値です。体重と価値はまったく繋がりがなく、シンプルに考えてあなたの価値を左右するほどの力はありません。

では、価値とはなにか。

自分の存在に対して、肯定的に捉えられること。周囲の人が大切だと思ってくれること。すべては体重のように数値化できない、人間の内面でおこなわれる活動なはずです。

体重と価値を勝手にイコールにしているのは、自分なんですよね。

わたしにとっての幸福は容姿から離れること

あとどのくらい生きられるか、考えたことはありますか。人生の終りをよく考えます。30歳を目前にしたからでしょうか。

他人と自分の容姿を比較して、落ちこむ。
もっと痩せたい、もっと綺麗になりたい。
痩せたら人生が変わるのに。

これは容姿のコンプレックスに苦しんでいたころ、毎日のように考えていたことです。きれいになった未来の自分を想像して、こうなったら、ああなったらいいのにと欲望ばかり。

ときどき、今でも出てきます。でも、この生き方は変えなければならないと思うのです。

取り返しのつかないタイミングで「自分の容姿に囚われるよりも、もっと楽しんで生きればよかった」と後悔するのではないかと。それがとても、怖いのです。

「痩せたら人生が変わる」というキャッチフレーズは、SNS上でよく見かけます。ダイエット食品の広告でも。わたしも昔、使っていました。18kg痩せて確かに変わりましたが、変わるのは服と身体の物理的なサイズです。

どこかで「美容整形をした女性は協調性、社交性が増す」という論文を見かけました。いわゆる「明るくなる」がそれに値するでしょう。しかし人格を大きく変えたり、ましてや人生まではそうそう変わらないのです。人生を変えられるかどうかは、その後の行動次第なのですから。

美容整形をして、痩せて、完璧とはいえないけれど容姿のコンプレックスとは戦った。人として生きていけると思えるくらいにはなれた。

ここからは、どんな生き方を選ぶか。

今を最大限に楽しもう。「容姿に注目する時間を少なくし、ほかの物事に注目する生き方を選ぶ」がわたしにとって幸福に繋がるだろう。感覚的にそう思います。

たとえば、体験にお金をかけるとか。

夏の暑さが尾をひく9月半ば。何年も前からやってみたかったサーフィンをしてみました。

すっぴんで日焼け止めで顔を真っ白にして、細くはない身体でウェットスーツをきて波乗りをする。波に打たれるたび髪はボサボサになり、日焼け止めは剥がれ落ちる。我ながらひどい姿。イケメンサーフィン講師はその姿を写真や動画におさめる。白い歯がまぶしい。

でも、誰もなにも言いません。周りの人もすっぴんで日焼け止めもムラがある。体型だって人それぞれ。

多分、これでいい。