元うつ過食でも働けた成功体験を糧にパン屋開業を目指す

調理、菓子製造にかかわっていたイタリアンcafeレストランを退職しました。

勤務期間は9ヶ月。予定では「最低1年」と考えていましたが、ある程度飲食店の内部を知れたり、仕事ができるようになれば現状以上の成長は見込めないでしょう。

タイミングよく、条件のよい場所にテナントが空いている。椅子とりゲーム並みに競争率が高いはず。動きだすなら早いほうがいい。

契約にむけて動きはじめたのもあり、9ヶ月と予定より早く退職しました。

お店のコンセプトとしては、ハードパン・ドイツパン専門店として尖りまくっていきたい所存です。

ここでは詳しいコンセプトより、10代から20代前半まで精神疾患に悩み、社会に溶け込めないまま、つまり社会不適合者として人生の大半を過ごしてきた私が、

組織の一部として機能できた9ヶ月余りの成功体験に対しての記録を残しておきたいのです。

飲食店をやりたい 地元で有名なレストランへ

2016年から2021年中頃までフリーランスのライター、カウンセラーとして活動をしてきました。

うつや過食を11年かけて克服し、美容整形に700万円投資してコンプレックスと戦った経験を活かして。

現在の仕事に対し、死ぬまでやっていきたいことなのか? 本当にやりたいことは? と考える機会がふえ、キャリアチェンジを考えて選んだ答えが「飲食店の開業」でした。

いきなりなぜ、飲食店?

私が好きなことってなんだろう。ふり返ってみると、料理は長く続けてきました。はじめたのは12歳くらいのころから。

飽きず続けているのは、好きということなのでしょう。

▼飲食店を目指した経緯についてわかる記事

また、キャリアチェンジを考えた当時、プラントベース(野菜、豆、未精製の穀物を多くとる食事法)やヴィーガンに興味があり、飲食店をやるならこだわりのお店を。

お客さんに健康も提供できるのがいいよねとなり、それらを主体にしたお店を夫婦2人でやりたいと考えていました。

地元の農家さんから仕入れた野菜を使ったり。お店の敷地にベリーの木を植えて、それをデザートに使うのもいいなとも。

好きな土地でものを仕入れ、提供し、お金をいただく。この一連の行為も、その土地に対しての貢献になるとも考えたのです。

とはいえ、飲食店の経験は一才なし。

修行もかねて、地元で有名なイタリアンcafeレストランに面接に。いざ面接に行くと、実は2次面接があると伝えられ.....アルバイトなのに2次面接?!

2次面接とはなんなのかというと「いきなり現場に放り込んでみて、どう動くかをみる抜き打ちテスト」のようなものです。

ランチ前に現場に入って仕込みをしたり、前菜を盛りつけたり、ランチメニューのメイン料理の補助をしたり、洗い場に入るなど。いきなりの実践、というわけです。

なんの訓練も積んでいないのに、戦場にいきなり放り込まれる。そんな気持ちでした。

飲食店、私には無理

chef cooking in the kitchen
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2次面接、無事合格。

働いてみたものの、1〜2ヶ月で「私には飲食店は無理だ」という答えが既に出ていました。

私にはいろいろな人がいる環境の中で働くことや、他人にペースを乱されながら働くのに適していないようでした。決して遅いわけではないけど自分のペースで、黙々と集中してひとりで世界観を作りあげていくのが向いているタイプ。

さらにここのお店は特殊で、人員不足もあってか、ひとりで2つのセクションを受け持つのは当たり前。私の場合はさらに特殊で、新人なのに4つのセクションに関わっていました。

各セクションの業務でキャパオーバー。研修と研修をかけ持ちし、精神的にも肉体的にもいっぱいいっぱい。

働きはじめて1ヶ月目で生理が止まりました。嫌で嫌でしょうがない日もありましたが、半べそをかきながら働いたときも。

夫に「飲食店は無理そう」と話すと、パン屋はどうか?と言うのです。

パンを悪者扱いしていたくせに、沼にハマる

飲食店が無理なら、パン屋をやればいいじゃない。

テイクアウト中心のパン屋なら、飲食店より実現可能と考えて「パン屋はどう?」と提案した夫。

現在、パン屋開業にむけて施工業者に問いあわせをしたり、内覧にいき、オーブンの会社に打ちあわせにも行きました。完全にその気になっていますが、夫からパン屋の話があったときは反対でした。

小麦粉=太るという、悪いイメージがあったからです。しかもパン、作ったことないよ......。

夫は「seinaなら大丈夫」と言うけれど、どこに根拠があるんだか。何度も「パン屋がいい」という夫に根負けして、初めて焼いたのがこちらのバゲット。

2本目はこちら。

想像していたものと、まったく違う。まるで棍棒みたいなバゲット。なんで私はお店で売っているようなバゲットが焼けないんだろう?

できない自分が悔しい。こうして、一気にパン作りの沼にハマっていくのでした。

最近のパンたちはこんな感じ。

成功体験を今後の糧に

イタリアンcafeレストランでの勤務は9ヶ月と短期間でしたが、たとえ短かったとしても私には必要なステップだったと捉えています。

まず、飲食店は無理だと気がつけたこと。これは大きいです。

菓子製造にも携わることができ、マフィン60〜70個。プリン40個など。

限られた時間内で大量の仕込みがあり、過酷な一面もありましたが、大量に、早く、きれいに作る練習になる。パンだけではなく焼き菓子も置きたいと考えているので、開業にむけてのよい練習になりました。

厨房の目が回るような忙しさ、慌ただしさは私にはあいませんでした。でも、投げ出したことはなかった。

100名以上の対応をなんとか乗りこえたのだから、今後どんなに大変なことでもやっていけそうな気がする。という、根拠のない自信にも。

何よりうつで過食で73kgまで太り、鬱がひどく大学を中退したり、働けない期間も長く、自分に対して社会不適合者という決めつけがありましたが「そんな私でも働けた」という成功体験も、パン屋を営んでいく上で大きな自信になっていきそうです。

(もちろん続けられたのは、職場の人たちに恵まれたのもあります)

変わっているやつだと思われるような、変なこともしました。コミュ障大爆発です。今でも思い返すと、心臓をギューっと握りつぶされるような大きな失敗もしました。

でも、恥ずかしいことや、大きな失敗は、やれるうちにやっておいた方がいいと思うんです。上司からたくさん注意されて、落ち込む経験もしておいた方がいいと思うんです。

お金をいただきながら経験ができるのはありがたいことですし、すべて本番のためになるから。どんな状況にも慣れていたら、強くなれるはずだから。

あんまり経験ないけど、パン屋開業なんて大丈夫?

それは私がいちばんわかっています。不安だけど、ものづくりをライフワークにできる目標が今にも叶いそう。それなら掴んでいくしかないのかなと、思っています。

とはいうものの、壁にぶつかり中。

テナントの電力が不足していて、それを上げられるかどうか分からないのです。たくさんパンを焼くには大きなオーブンが必須で、動かすには電力が必要。電力がないなら死活問題。

ケンカでもしているのか?と思うくらい東京電力と、テナントの管理者の言っていることが食い違っていて、事実確認次第では夢やぶれる......になるかも。

▲ボルシチとドイツパン。ライ麦80%、自家製サワー種たっぷりのフォルコンブロートというパンです。

お店のインスタグラムでは、日々焼いたパンや焼菓子を公開しています。ぜひ食欲をそそられにきてください。

噛むのに苦労するくらい固いパンが好き。黒いライ麦パンの旨みを味わいたい。そういった方なら好みにあうはず。