ツイッターフォロワー、1万人をこえたseinaです(@st_0905)
いつも見ていただき、ありがとうございます!
「フォロワー1万人」と聞くと、スゴい!と思われるかもしれません。
実際、夫に冗談で「マイクロインフルエンサー」などと言われたり「フォロワー500人ちょっとのオレが...」と、フォロワー数を崇めてきたりもします。笑
けれど、1万人いるからといって、何もスゴくはないんです。ツイートのむこう側でうんうん悩んでいる姿は、どちらかといえば弱々しいかもしれません。
では、どんな気持ちで、何を考えながら発信しているのか。
いつも見てくれている方にむけて、胸の内を知ってほしいなと思い「私がツイッターで発信する上で気をつけていること」をまとめたいと思います。
▲夫にツイッター運営について取材された記事。こんな厳しく言っていないけど、面白く書いてくれました。笑
ネガディブツイートは卒業 成長していない自分に対して不快に思う
ネガディブツイート、卒業しました。
なぜ卒業したのか、理由は3つあります。
- 自分のTLをみて不快に感じたから
- ネガティブからは何も生まれないと感じたから
- 私のツイートで提供したいものが変わったから
フォロワー5000〜6000人くらいの頃は、自分のモヤモヤを文章化して発散するためにツイートをしていました。
例えば、こんなツイート↓
本心です。あぁ、悲しい現実。いいねをたくさんいただきましたので、同じように感じている人も多いのでしょう。
やめるきっかけは、ある日、自分のタイムラインをふり返り、
「同じことばかり言って何も成長していない」
「悲劇のヒロインぶっている」
と、気分が悪くなったから。腹立たしくなったからです。きっと自分に対してそう思うなら、同じように不快に感じた人もいたはず。
それに、容姿に関するきびしい現実を文章化して、何になるのかと。容姿に苦しんでいる人がみたら、追い詰めているだけではないかと、思うのです。
ネガティブツイートをやめたのは、容姿に関するきびしい現実から、私自身が卒業したかったのもあるかもしれません。
そう思いながらツイッター運営をしていくうちに、徐々にフォロワーさんが増加。自分の中で、ツイッターに対する接し方も変化しました。
まず、ツイートを通して提供したいものができたこと。
- 前向きな気持ちになる
- 安心感を得られる
- 眺めていたいと思える
私がツイートで提供したいのは、これです。
だったら、ネガティブから卒業しないと。
主観で話して他人を攻撃しない
主観で話すように心がけている理由は、ツイートのギスギス感をへらすためです。
主観で話すとは、
- 私は〜だと思う
- 私の経験上〜だった
- 昔の私は〜だった
という「自分を軸にした発言」をアピールするようにしています。
ツイッターでも現実世界でも思うのですが、ちょっとした人間関係のトラブルは、主観で話さないから起こるのではないかなと思います。もっと言えば、主観で話せばトラブルは回避できるのではないかと。
例えば、
私は糖質をとると太る体質なので、極力控えるようにしています(主観)
糖質はダイエットの敵。痩せたいなら控えなきゃヤバイ(主観なし)
どうでしょう、前者の方がまろやかではないでしょうか。後者だと、なんとなく攻撃されているように感じますよね。
太ることに敏感な女性は、不安にもなるはず。また、糖質をとることを大切にしている人は、自分のやり方を否定されたように感じて、ムッともするでしょう。
糖質を食べたからといって激太りするわけではないですし、控えるべきでもありません。
事実ではない可能性があるのに断言する言い方も、注意したいところ。
過去の失態を反省する
自分が起こした過去の失態を反省し、より一層、伝え方を気をつけるようにしました。
過去の失態とは、昔つぶやいたこちらのツイート。
何件か、お叱りをいただきました。
でも「〜と思う」と、小さく主観をアピールしています。それなのに、どこがダメだったのでしょう。
自分でも気になったのは、この部分。
30手前になると容姿なんか二の次で。 むしろ容姿が良くても「中身がない」と判断されれば、悪い意味でギャップが起き評価が下がる。 自分だけの武器、磨かないとヤバイ
ツイートをしたこの日、「容姿の良さが有利に働くのは、若いうちだな」と思う出来事があったのは、事実でした。でも、表現の仕方がよくなかった。
当然、自分自身に対して「ヤバイ」と思っているわけですが、主観をアピールしきれていない断言した表現のため、攻撃的さを感じます。
中身がないと判断されるわけじゃない。
ギャップが起きて評価が下がるわけでもない。
別に自分だけの武器、磨かなくてもいい。
磨きたければ勝手に磨いていればいい話なのに、それを他人に急かすような伝え方になってしまったのも、言葉足らず。
もし気に障った方がいたら、本当にごめんなさい。
他人を決めつけない 評価しない 肉親にみせられるかが基準
他人を評価しない、決めつけない。
当たり前のこと。言うまでもありません。が、当たり前のことを気をつけていたい自分への戒めとして書きます。
「こういう人間は〇〇だ」と、決めつける
「こういう人間はダメだ」と、評価をくだす
当然、人を傷つけますし、ツイートに当てはまる人がいたら不快にもなりますので、ダメ絶対。
でも人間、承認欲求が悪さをする日もあります。
上から目線のツイートをしたくなった時に使えるのは「両親に見せられるか」と考えること。おじいちゃん、おばあちゃんでもいいです。
「肉親」がポイント。悪いことできませんから。
私の場合は、95歳の祖母です。ネガティブツイートをしたくなった時に祖母にみせられるか考えると「こんなの見せられない!」となり、表現が柔らかくなったり「ポジティブツイートに切り替えよう」と、転換できます。
昔のツイートはネガティブだらけたっだので見せられないけど、最近のツイートなら自信をもって見せられるかな。
ツイートの対象は容姿に悩んでいた昔の自分
悩んでいるフォロワーさんにむけて、友人にむけて、悩んでいる架空の人にむけて。
ツイートのひとつひとつ、誰に向けてのツイートなのか変わってきますが、私のツイッター運営のターゲットは「容姿に悩んでいた昔の自分」と、大まかな基準があります。
「誰に何を伝えたいか」を決めることで、ツイートしやすくなるのはもちろん、ダーゲットがいるからこそ、トラブルが避けられると思うのです。
イメージするのは、悩み苦しみ、落ちこみ、暗い部屋の中で丸まっている私。
容姿に関すること、過食や鬱のツイートでは、昔の自分を思い浮かべてツイートしています。そしてツイートの内容に沿って、優しくするか、励ますか、叱咤するかを決める。
このように考えれば、ツイート上で決めつけや評価もさけられ、攻撃的さを減らせます。
そういえば、昔の気分がいるような気分になるのは、思い浮かべながらツイートしているせいなのかも。
いつも見てくれている方へ
いつもイイねやリプをしてくれる方、ありがとうございます。
把握している自信があります。名前やアイコンで自然と覚えちゃうんですよね。(しかも私のフォロワーさん、名前が面白い方ばかり)
文章だけで伝えるツイッター。だからこそ語弊が生まれたり、不快に思うこともあるかもしれません。争いばかりで嫌だなぁ、とか。
私の活動目標は「女性の生き辛さをへらし、内側と外側からの美のサポート」と、定まってきたのは確かなこと。
この活動目標を遂行できるようにしていきたいですし、より活動できるように、成長していきたい。そして前向きな気持ちになれる、安心できるような、温かいツイートも心がけていきたいと思っています。
ネガティブは卒業!
今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。